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政治家を志した理由

私は平成23年(2011年)に初当選するまでは、3人の子供を持つサラリーマンでした。
特定の団体の支持もなく、親兄弟が政治家な訳でもなく、先輩議員から地盤を譲り受けるという事もありませんでした。
いわゆる「地盤、看板、カバン」はありませんでしたが、「地方から日本をよくする」という思いを持って、区政の壇上へ皆様に上げて頂くことができました。
安定した生活ではなく政治へのチャレンジを選んだ理由は、日本の抱える根本の問題を正し持続可能な社会を構築するために、小さくは3児の父親として、大きくは先人から受け継いだバトンを次世代へしっかりと繋ぐ責任のある現役世代として、子供達の世代への責任を果たさねばならないと強く思ったからです。

(1)地元・豊島区への強い思い!

私は生まれも育ちも豊島区南大塚です。
豊島区には祖父が富山県から東京に来てから私の子供の代まで4世代に渡りお世話になっております。
始めに政治を志した時から、もし政治に携わるのであれば育ててもらった地元に戻って、少しでも地域のために貢献をしたいと思っていました。

豊島区の魅力の一つに、地域コミュニティがしっかりと残っていることが挙げられます。小学校に上がる前から、地元の天祖神社の祭礼や地域の行事へ、親や友人や近所の人たちと一緒に参加をしていたので、私にとっては町会活動や近所付き合いというのは非常に身近で当たり前のものでした。
しかし、結婚してから数年間地元を離れてみると、そういったコミュニティとのお付き合いが引越し先ではあまりなくなり、これまで当たり前だと思っていたことがとても大切なことなのだと気づきました。

地域でのお祭りやイベントのたびに、商店街や町会の方々が献身的な活動をしていることに感心するとともに、この地域のコミュニティが弱くなったら街の元気は無くなるだろうと危機感を覚えました。
地域経済の活性化と地域コミュニティの再構築をすることこそが、豊島区を魅力的な街にすることに繋がるものと確信しております。

豊島区には、東京の玄関口として都内でも屈指の賑わいを見せる副都心・池袋を中心に、「おばあちゃんの原宿」で有名な巣鴨や、老舗も多く人情味の溢れる街・大塚、閑静な住宅街が広がる目白、ソメイヨシノ発祥の地である駒込など、多種多様な特色を持つ地区があります。

“豊島区の良さを次の世代にきちんと引き継いでいきたい”
という強い思いが、区政へのチャレンジを決意した理由の一つです。

(2)子供が生まれ、価値観が変わった!

子供が生まれてから価値観がガラリと変わりました。

それまでは 「不正が許せない」「正直者が馬鹿をみる世の中は正したい」という思いはありましたが、未来の世代へ何かを残さねばならないということは、あまり意識をしていませんでした。
無駄な公共工事へ憤りを覚えた時も、自分達の世代にツケが回ってくるのはけしからん!という程度の感覚。
しかし、子供が生まれた後は「子供達に我々親の世代は何が出来るのか」「自分達が我慢してでも、子供達にツケを回すようなことはしたくない」という気持ちを持つようになりました。

“次の世代への責任”
これは今も、何を考えるにしても外せない価値観となっています。

(3)“日本らしさ”を取り戻したい!

私は、他者への思いやり、譲り合いの精神、和を尊ぶ心などが“日本らしさ”であると考えています。

しかしながら、他人への配慮のない人、公共の場をわきまえない人を目にすることが多々あります。
これは“日本らしさ”という価値観が共有できていないことが原因なのではないかと、私は考えています。

その事に気付いた頃に同志から紹介してもらったのが新渡戸稲造の「武士道」、そして「武士道」の考えを教えている作家の岬龍一郎先生でした。
日本人としての軸、背骨をきちんと作り、判断基準を持たねばならない。その背骨は歴史を学ぶことで培われるということ。温故知新から「温故創新」をする、と教えて頂きました。

しかし、なぜ根本の原因がそもそも生じたのか、そもそもどこを直したらよいのか、という問題にぶつかりました。
その後、やはり同志から、東洋思想家の田口佳史先生を紹介してもらい、勉強会に参加するようになりました。
そこで、

などを学び、何に取り組まなければいけないのかが、分かりました。

(4)人との出会いによって確信に変わる!

20代最後の年に転機が訪れました。

TOKYO自民党政経塾(塾長:深谷隆司前衆議院議員)が第3期生の募集をしているのを見つけ、「政治を変えなければ日本がおかしくなる」と思い応募。
ここで同じく政治の道を模索する仲間達と出会い、互いに切磋琢磨するうちに政治家への道を目指す決意が固まりました

この時の同期は多士済済で、今でも共に活動をしている同志が多くいます。
田口佳史先生をご紹介下さり、今も人格教養教育プロジェクトで日本の教育の再興のため、一緒に活動している雑賀日出夫さん(Pride of JAPAN代表)、龍馬プロジェクト全国会の中山義隆石垣市長(当時は石垣市議)、古川裕紀前神埼市議(当時はサラリーマン)、その他民間で活躍している人達など。

その後、自民党青年部の一員として、
平成21年(2009年)7月、都議会議員選挙にて矢島千秋候補者の応援、
平成21年(2009年)8月、衆議院議員総選挙にて小池百合子候補者の応援をしました。
この衆議院総選挙で自民党は大敗して下野、民主党政権が始まります。
そして、この総選挙を終えた秋、龍馬プロジェクト全国会の立ち上げの動きが始まりました。
「地方から日本を変える!」という気概はこの時と同じように今でも持ち続けています。

(5)3.11の衝撃 日本人の美徳を再認識!

日本人にとって忘れることができない日となった、平成23年(2011年)3月11日。
ニュースで見た津波の映像が現実に起こっている事だとは信じられませんでした。
区内においては、公共交通機関の乱れ、帰宅困難者が大量に出てしまったこと、携帯電話が繋がらなくなり通信手段の限定を余儀なくされたこと、など沢山の問題が露呈しました。
連日の報道で日増しに被害の甚大さが明らかになっていき、追い打ちをかけるように今もって終息していない福島第一原発の事故が重なりました。
そんな暗澹とするような状況下で、希望が持てるニュースもありました。
物資が限られている中、スーパーでレジの順番待ちのために整然と並ぶ被災者の方たちの列を見て、海外のメディアが相次いで賞賛する報道をしてくれました。
「自分さえよければよい」という利己主義的な考え方はそこにはありません。
譲り合いの精神、他者を思いやる気持ち、自分自身が極度に追い込まれているこのような時でも他人への配慮を忘れない東北の方々を同じ日本人として誇りに思い、熱いものがこみ上げました。
日本人の美徳は失われている訳ではない、普段は失われているようでもいざという時には発露されるのだ、と教えられた瞬間でした。

東北の方々が示して下さった日本人の美徳に触れ、同じ日本人はその行動を誇りに思い、海外のメディアは称賛しました。
海外に誇れる日本人のよさを伸ばしていきたい!
この日本人の美徳を普段から発揮できるよう磨いていくことこそが、すなわち日本の魅力を高めていく事だと考えています。
「知識・技術」の教育だけではなく、「人格・教養」教育との両輪にすることが、これからの日本には必要だと改めて思いを強くしました

全国でも人口密度が最も高い豊島区は、都市問題の課題先進自治体であるとも言えます。
3.11の教訓として、いざという時の備えをハード面、ソフト面、共にできる限り行い、安心して住める街を作っていかねばならないということを胸に刻みました。